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松山家庭裁判所 昭和46年(家)470号 審判

申立人 井原志津子(仮名)

事件本人 矢野栄子(仮名) 昭三三・一二・一七生 外一名

主文

事件本人両名の親権者を申立人に変更する。

理由

一  申立人は、主文同旨の審判を求めた。

二  よつて、審理するに、本件記録中の関係各戸籍謄本のほか、昭和四五年(家イ)第二三五号離婚等調停事件記録、昭和四六年(家)第五〇一、五〇二号後見人選任申立事件記録、同年(家イ)第二六一号親族関係調整調停事件記録、および、当裁判所の申立人本人、参考人矢野俊治、同矢野政武に対する各審問(ただし、上記参考人二名に対する審問は、前記後見人選任申立事件についてなされたもの)の結果を総合すると、次のような事実が認められる。

(一)  申立人は、昭和三三年四月一五日矢野英司(以下「英司」と略称する。)と婚姻、同年一二月一七日に長女栄子を、昭和三六年四月一八日に二女はるかを、それぞれ分娩出産したが、夫婦仲に不和を招き、昭和四六年一月二〇日、右事件本人両名の親権者をいずれも父である英司と定めて調停離婚した。しかるに、英司は、昭和四六年七月二日交通事故により死亡した。

(二)  ところで、事件本人両名の親権者を父と定めたのは、離婚調停の際、英司の側が当初離婚に応じない意向を強く示していたため、離婚を希望していた申立人側がある種の妥協条件として親権者を英司に譲るという態度をとつたことも、その事情のひとつであつたもののようで、申立人としては、必らずしも全面的に離婚後の事件本人両名の監護教育から手をひく考えをもつていたわけでなく、現に、申立人は、離婚後も、事件本人両名の身辺の面倒をみていたし、英司死亡後は、名実ともにその監護面を担当している。なお、事件本人両名の現在の生活状況には格別の問題が存しない。

(三)  もつとも、亡英司の両親、兄(失野政武)らは、かならずしも申立人に好感情をもたず、ことに、申立人の財産管理面の言動・姿勢に警戒的であるが、監護教育の職分に関し、申立人が親権を濫用するおそれがあるとまでは見ていないようである。また、感情的葛藤の点については、前記親族関係調整事件の調停成立にともない大幅に緩和される見とおしがついている。

三  右認定の事実によると、申立人を親権者とすることが事件本人らの福祉に合するものと判断する。

なお、本件のごとく、単独親権者が死亡した場合に親権者変更の審判をすることが許されるか否か、説のわかれるところであるが、当裁判所は、次のような理由から積極説を相当と解する。

(一)  まず、現行民法上、後見制度は親権制度の補充・代用たる性格をもち、未成年者に父母がある場合には、親権喪失その他特段の事情がないかぎり、未成年者の監護教育は、第一次的に父母が共同または単独で、親権者として、その任にあたるという建前がとられており、それが、同時に国民感情に合致するものと考えられる。

(二)  単独親権者が死亡した場合に後見の開始することはいうまでもないが、後見が開始されたからといつて親権者変更が許されないと断定するのは疑問であり、現に、親権者の所在不明を理由とする親権者変更が一般に承認されていることと対比すれば、後見開始後後見人が選任されるまでの浮動状態をどのように処理するかという視点に立つて考えるのが素直であると思われる。

(三)  そもそも親権者変更の審判は、旧親権者の地位を解消せしめ、新たな親権者に権能を付与するという創設的形成処分であるところ、単独親権者死亡の場合、前者(地位解消)の必要はないが、後者、すなわち新しい形成処分の必要は残つているし、その限度で、家庭裁判所にその権限を認めることは差支えないと考える。

(四)  一般に、離婚により親権者とならなかつた親も、親権者たりうるという権利能力的な資格を有しているものであつて、変更審判により、いわば親権の回復とも称すべき効果を発生させることに特別の障害はないと思われる。もつとも、生存している非親権者が親権者としての適格性を有するかどうかについて軽々な判断をくだすと、親権の無拘束性(後見監督のようなチェックのないこと)との関連で、子の利益を十分まもりえないおそれがあるので、かりに、生存している親以外に後見人を選任するとすれば何人が適当か、そして、その後見人候補者的な者と比較して適格性の優劣如何という観点からの吟味を要すると解する。(本件において、別途、後見人選任の申立がなされたのも、かような解釈にもとずく示唆によるものである。)

(五)  親権者変更事件は乙類事件と定められているところから、相手方の不存在ということが手続法的に疑問をまねく面もあるが、(乙類事件とされているため調停手続が可能であるというメリットはともかく)本来は、「父母の間で親権者の地位を争う」といつた性格のものではなく、「子のためにより良い親権者を与える」という趣旨のものである点からいえば、理論的には甲類事件的な色彩が濃く、このことからいつても、手続法的な難点は存在しないと考える。

四  よつて、主文のとおり審判する。

(家事審判官 角谷三千夫)

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